注意
第3回裁判までの知識と認識で書いています。この先、新しい事実などで過ちや解釈違いが判明するかもしれません。また、決め付け調ですが公式の要素以外は全部文末に(多分)がつきます。
第3回裁判までのネタバレをたっぷり含みます。ご容赦ください。
道徳心と橘シェリー
橘シェリーは道徳心がなく、空気を読まない。
これが公式のキャラ紹介における橘シェリーへの見解である。
道徳とは、道徳心とは何だろうか。Web検索してみると、
「道徳」とは、人々が善悪をわきまえながら正しい行動をしていくために、守らなければならないルールや規範のことを示す言葉である。法律や規制のように強制されるものではなく、自発的に正しい行為をすることを促すための内面的な原理として存在するものである。日本では、「道徳」と同じ意味合いの言葉として、「モラル」という表現を用いることも多い。
weblio辞書(国語):https://www.weblio.jp/content/%E9%81%93%E5%BE%B3
「道徳心」とは、「道徳」を守って行動しようとする心のことを指す。善悪をしっかりと判断した上で、ルールに従って正しい行いをしようとする心の働きを表している。教育現場に向けて文部省が示している「道徳心」には、自分自身の節度・向上心、人との関わりにおける思いやり・感謝、集団や社会との関わりにおける公徳心・家族愛・よりよい学校生活・国を愛する態度、生命や自然との関わりにおける自然愛護や畏敬の念といった20種類以上の概念が定義されている。
とある。何か難しい話だが、ざっくり言うなら「共感ベースの情緒的な倫理観」くらいの認識でいいだろうか。そうであるなら、橘シェリーはなるほど道徳心がない。
橘シェリーに遠慮はない。好奇心の先であれば相手の反応を恐れず突撃するし、嫌がられようが嫌われようが構わない。自分の言動による他者からの評価に殆ど頓着していないように見える。一般的な「これ聞いたらまずいかな」は橘シェリーの「気になる」の前には無力である。他者の気持ちに配慮して行動を控えることなど全くない。
一方で、橘シェリーの行動結果は利他的である。団体行動時には周囲の行動方針に従い、他者を助けることに躊躇がなく、自分がピエロとして扱われることも問題視しない。落ち込む人に寄り添い元気付ける姿はともすれば思い遣りすら感じる。
しかし、橘シェリーに道徳心はない。いかに道徳的な行動をしようと、少なくとも公式がそう説明する以上はそうである。では橘シェリーは何を思っているのだろうか。
道徳心を埋める善性
橘シェリーは頭が良い。キャッチーな語彙や無邪気な声色はアホの子そのものだが、議論や会話の内容から思考や理屈を組み立てる早さがわかる。道徳心がなく頭が良い橘シェリーは、自己の基準とロジックで行動を選択していると思われる。
橘シェリーは他者を助けた経験から探偵を天職だと思ったという。これは彼女が道徳心はないかわりに強い貢献欲や利他心があるということだ。そしてそれが好奇心に並んで彼女を動かしている。
他人の役に立つことが目的である時、自分が怪我をすること、痛みを受けることは一般的にはリスクである。だが、橘シェリーはそれで目的が達成できるなら必要なコストと受け入れられる。自分が怪我や痛みを受けることと、それを苦痛と認識することは別の話だ。怪我をしようと、痛みがあろうと、たったそれだけのことだ。叫ぶようなことでも厭うようなことでもない。
だから橘シェリーは他人を助けるため危険に飛び込める。だから橘シェリーは友達を助ける目的が達成できるなら怪我をすることも嘘をつくことも気にならない。道徳心がない橘シェリーはきっと友達を愛している。だから躊躇いなく自分を捨てる。それは深い情緒や葛藤などを伴わず、ただそれが効率的だし最短距離だからだ。
橘シェリーと遠野ハンナ
マイナス感情を捨てた橘シェリーと対極的に、遠野ハンナはマイナス感情の塊だった。
怒るし、泣くし、怯えるし、恥をかくし、見栄を張る。橘シェリーが持っていられずに捨てたものを遠野ハンナは抱えていた。橘シェリーは、そんな自分にないものばかりで構成されている遠野ハンナが大好きになった。
橘シェリーはやがて遠野ハンナを殺す。自分の命よりも、友達の命よりも、友達の役に立つと嬉しい自分の気持ちが何より大切だからだ。友達の役に立つなら、それが友達の助けになるなら橘シェリーはその友達を殺す。そして、自分の命がいかに軽くても友達が『橘シェリーなら完全犯罪をして生き延びることができる』と信じたなら、橘シェリーは生存を目指す。そしてそれが叶わなかった時に自分が死ぬことよりも、友達を殺したことよりも、友達を傷付けたことよりも、友達の役に立ちきれなかったことを悔やむ。
それは優しさではない、献身ではない、自己犠牲ではない。自身の貢献欲を満たすためなら、何を切り捨ててもいいという、ただの我欲にまみれた善性だったのではないだろうか。
利己的なまでの利他心
橘シェリーの善性に、かくあるべしは存在しない。感情移入も正義感もリスクヘッジすらも存在しない。ただ、何かを思い付いたならそれをする。出来ることがあるならそれをする。それで助けることができたなら、それが嬉しいから助ける。助けたい自分の気持ちに正直に助ける。
遠野ハンナに殺害を願われた時、橘シェリーは分の悪さを理解していただろう。橘シェリーが生き延びる為には、犯人だと暴かれてはならない、迷宮入りで全員処刑判決をされてもならない。誰かに罪を被せて処刑できなければならない。しかし残り人数が少なくなった状態で、自分の魔法を使用した犯罪で、それがどれだけ勝ちの目がない戦いか分からなかったわけがない。
それでも、橘シェリーは遠野ハンナを殺害した。魔女になる前に死にたいし、自分を殺した後も橘シェリーには生き延びてほしいという遠野ハンナの願いを引き受けた。脱出の目処が立たず、魔女化が進行する遠野ハンナを助けたい欲求の前に、2番目の願いが困難であるという理屈は意味をなさなかった。
再三であるが、橘シェリーに道徳心はない。公式がそう言っている。しかし、そうであろうと、同時に橘シェリーは確かに善良であった。私はそう思っている。
最後に
シェリーちゃん可愛い大好き、えらいねすごいね天才!!!
(※本人希望の褒め言葉です)